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東京地方裁判所 昭和63年(ワ)6381号 判決

原告

株式会社紀伊国屋書店

右代表者代表取締役

松原治

右訴訟代理人弁護士

倉田雅充

三宅秀明

被告

株式会社英國屋

右代表者代表取締役

小林明

右訴訟代理人弁護士

畑口紘

田中晋

薄金孝太郎

主文

一  原告の請求を棄却する。

二  訴訟費用は原告の負担とする。

事実及び理由

第一  原告の請求

被告は原告に対し、別紙物件目録記載の建物のうち、別紙図面記載の一階区画第二号及び第三号の一を明け渡し、かつ、同図面記載の一階区画第二号については昭和五九年四月一〇日から明渡し済みに至るまで一か月金九一万六三三〇円、同図面記載の一階区画第三号の一については右同日から明渡し済みに至るまで一か月金五〇万五四五〇円の各割合による金員を支払え。

第二事案の概要

一争いのない事実

1  原告は昭和三七年七月二日、被告に対し、別紙物件目録記載の建物(以下「本件建物」という。)のうち、別紙図面記載の一階区画第二号(21.49坪)の貸室(以下「貸室二号」という。)を、以下の約定で貸し渡した。

(一) 期間 昭和三九年四月一〇日から満二〇年間

(二) 賃料 一か月につき3.3平方メートル(一坪)当たり一万円

2  さらに、原告は昭和四七年六月三〇日、被告に対し、本件建物のうち貸室二号に隣接する別紙図面記載の一階区画第三号の一(12.09坪)の貸室(以下「貸室三号」という。)を、以下の約定で貸し渡した。

(一) 期間 昭和四七年七月一日から昭和五九年四月九日まで

(二) 賃料 前記1(二)と同じ

3  本件各貸室の賃料は数回にわたり改定され、昭和五八年八月一日以降、貸室二号は一か月につき一坪当たり四万二六四〇円、貸室三号は一か月につき一坪当たり四万一七八〇円となった。

4  原告は昭和五八年九月三日、被告に対し、本件各貸室の賃貸借契約について更新拒絶の通知をした。

5  原告は被告に対し、本訴状をもって、本件各貸室の賃貸借契約の解約を申し入れ、右訴状は昭和六三年六月二日被告に送達された(本件記録上明らかである。)。

二争点

本件の争点は、更新拒絶又は解約申し入れについての正当事由の存否であり、原告は正当事由として、

1  自己使用の必要性

2  本件建物の改修工事の必要性と被告による改修工事の妨害

を主張している。

第三争点に対する判断

一自己使用の必要性について

証拠(〈省略〉)によると、次の事実が認められる。

1  本件建物の立地等

本件建物は、新宿大通りに面し、新宿駅東口から徒歩約二分のところに所在する鉄骨鉄筋コンクリート造地下二階付地上一二階建の集合店舗ビルである。付近には有名デパートが複数立ち並び、JR新宿駅及び地下鉄新宿駅には地下連絡通路によっても通じ、待ち合わせ場所としても利用され、新宿中心街において地名度が高い。

2  原告は、出版・書籍販売等を業とする株式会社であり、本件建物を、自己の店舗(書籍売場)のほか本社ビルとして事務所・倉庫・貸劇場等に使用し、一部は賃貸事務所・賃貸店舗として運用している。

本件建物の一〇ないし一二階は塔屋であり、九階の半分、八階の一〇分の一、六階及び七階の全部、四、五階の五分の四、二、三階の五分の三、一階及び地下一階の全部、地下二階の五分の二程度が賃貸事務所または賃貸店舗であり、その余は原告自身の使用部分である。

貸室二号の使用開始時である昭和三九年から更新拒絶の通知をした昭和五九年ころ、さらには本訴状送達時である昭和六二年ころにかけて、書店業界には、カセットテープ等の新商品の登場、他業種大企業の書店業界への進出並びにそれに伴う大店舗化及び多店舗化傾向、書籍、雑誌の出版点数及び発行部数の飛躍的増加等の変化が生じ、原告の店舗における書籍、雑誌の取扱部数も増加した。また、原告の営業が専門書及び洋書を主体としていることから一般書店よりも広い売場面積を必要とする等の事情もあり、販売競争に打ち勝つためには、売場面積を拡張する必要があり、原告としては現在の売場面積の1.7倍の面積が必要であると考えている。

なお、原告は売場面積及び倉庫の拡張の必要性に対し、昭和五八年ころ世田谷区桜丘に土地建物を購入し、本件建物の倉庫、事務所、コンピューター施設を同所に移転してその跡を店舗に変えたり、本件建物の賃借人に貸室の移動ないし賃貸面積の縮小に応じてもらう等の手当てをしてきた。

本件各貸室は営業上有利な一階にあるが、原告は、別紙図面記載一階の趣味の店ミミーについて将来の明渡しの合意を得たほかは、本件建物一階に自己使用部分を有していない。

3  原告の松原治社長と取締役湯浅敏男は、昭和五七年四月二六日、被告の小林社長を訪ね、本件各貸室の賃貸借契約がいずれも期間満了により終了することを予告し、昭和五八年九月三日、右各契約の更新拒絶の通知をしたが、その際、更新を希望するのであれば本件建物の保証金(改修協力金)として坪当たり四八〇万円の保証金を提供すること等の賃貸借条件を提示した(当事者間に争いがない。)。

4  原告は、本件建物内の貸事務所ないし貸店舗のうち、原告の提示する保証金を含む新賃貸借条件を承諾した賃借人との間では、賃貸借を継続する旨賃貸借予約契約を締結している。

5  被告は、紳士服の製造販売等を業とする株式会社であり、東京都内に一八店舗と五外商部を有し、新宿にも本件貸室の外新宿西口住友ビル内の店舗を賃借している(当事者間に争いがない。)。

本件各貸室(新宿紀伊国屋店)と新宿住友店の売上成績を比較すると、昭和五八年四月から昭和五九年三月までの一年間では、前者より後者が二四〇〇万円ほど上回っているが、翌々年の一年間では逆に前者が後者より三五〇万円ほど上回るようになり、以後平成元年度に至るまで前者が後者に優る成績を上げている。

新宿住友店は新宿駅からやや離れており、商店街としては陳腐化傾向にあり、被告も同店舗では外商的な活動の方が盛んである。

また、被告は、注文服の製造販売を中心とした営業を行っていることから、客一人当たりの来店回数が多く、かつ一回あたりの来店時間も長いため、本件貸室の店舗と新宿住友店とを統合し一店舗でこれまで通りの顧客に対応することは困難である。

以上のように認められる。

右事実によると、原告にとって、出版業の多様化、書籍、雑誌の出版点数等の増大等に対応するため、売場及び倉庫の面積を拡張する必要があり、被告から本件各貸室の明渡しを受けてその部分を自己において使用するにつき営業上多大の利益を有することは否定できないが、一方、二〇年来、新宿という一大繁華街の中心に位置し、しかも地名度の高い本件建物内において地の利を生かして営業を行ってきた被告にとって、代わりの貸室が確保できるという何らの現実的保障もないままに本件各貸室を明け渡すことは、営業上相当の打撃となることが認められる。

そして、本件建物中原告が現に使用している部分が、既に書店としては有数の規模のものであるとみられることをも合わせ考えると、被告が本件各貸室部分を使用する必要性は、原告のそれより高いというべきである。

二本件建物の改修工事の必要性と被告による改修工事の妨害について

1  本件建物の改修工事の必要性

本件建物は竣工後二〇年余を経過していることは争いがなく、証拠(〈省略〉)によると、次の事実が認められる。

(一) 前川国男建築設計事務所は、昭和五五年一月初めから約三か月にわたり、各種専門業者の協力を得て、本件建物の防水関係、外装関係、防災関係、構造関係、設備関係等の現状調査を行い、同年七月一八日付「紀伊国屋ビルディング現状調査及び改修計画報告書」を作成した。

そして、同事務所は、右報告書を前提に昭和五八年五月一〇日付「紀伊国屋ビル改修工事の必要性についての意見書」を作成し、危険発生防止、建物の保存、消防法上の適マークの取得等のために、本件建物を速やかに改修すべき必要性のあることを報告した。右意見書の指摘は、おおむね以下のとおりである。

(1) 外壁コンクリートの中性化の進行を防止し、クラック・鉄筋の腐食を補修し、美装を行うこと、正面庇PC板のコンクリートの剥落の危険が多大であるから、補修を行い、コンクリート表面の劣化防止の防水と美装を行うこと

(2) 日本建築防災協会が昭和五八年四月発表した耐震診断基準により本件建物の耐震性を検討した結果に基づき、耐震性の補強のため、地下一階、一階、二階の中柱を補強すること

(3) 昭和五三年東京都市計画局建築指導部作成の防災診断書に準じ、

防火区画として、地下一階、一階の店舗相互間を耐火性能を有する壁で仕切り、店舗と共用通路を甲種防火戸及び防煙シャッターで仕切ると同時に、通路幅員三メートルに拡幅し、安全な避難路を確保する

竪穴区画として、エスカレーター昇降路部分は乙種防火戸にて区画し、ダクトスペースが床版を貫通する部分は自動復帰式煙感知器連動ダンパーにて区画する

避難階段の出入口を煙感知器連動甲種防火戸にて閉鎖し、避難路を確保する

等の工事を行うこと

(4) 既存地下二階の主変電設備を撤去し、屋上に東京都火災予防条例に適合した変電設備を新設すること

(5) 地下一階テナント及び各階ガス使用箇所に消防法令二一条の二によりガス漏れ火災警報設備を設置すること

(6) 地下一階現倉庫を改修し、建築基準法施行令二〇条の二に準ずる中央監視設備を設けること

(7) 老朽化した空調の全系統を撤去し、店舗及び事務部門にはカセット式ヒートポンプユニットを天井内に設け、各階毎にダンパーを設けたダクトを設置すること

(8) 給水管を取り替えること

(二) 原告は、前号の報告書及び意見書に基づき、本件建物の改修工事を実施した。

右改修工事は昭和五八年四月に着工し、同年一〇月には、本件建物の外壁、正面庇PC板の補強工事、二階部分の中柱の補強工事、地下二階及び二階ないし九階部分の各改修工事を完了した。

しかし、本件各貸室のある一階の中柱の補強工事や通路の拡幅、防火戸、防火壁、防煙シャッターなどの設置工事については、現在なお未施工のままである(当事者間に争いがない。)。

(三) 耐震性に関する中柱については前項の工事により地下一階の大部分及び二階については補強済みであるが、地下一階の残部と一階部分は補強されておらず、同部分の補強がされない以上、効果は現れず、危険な状態が除去されていない。

その他、耐火壁の仕切り、防火戸、通路の幅等についても、一階及び地下一階において安全性に問題を残している。

(四) 昭和六〇年ないし昭和六二年の各年度における東京都都市計画局建築指導部建築防災課による定期調査報告書の審査結果では、本件建物は既存不適格建築物(法令の改正により現行法令に適合しなくなった建築物)とされており、評定はB(防災上支障があるので、使用・管理上等について改善に努めること)であった。以上のように認められる。

右事実によると、本件建物の保存及び安全性の確保のため、更新拒絶の通知がされた昭和五八年九月三日当時において本件建物の各階の改修工事をする必要があり、また、解約申入のされた昭和六三年六月二日当時において本件建物の一階及び地下一階の残部の改修工事をする必要があったものというべきである。

2  改修協力金の金額の相当性

証拠(〈省略〉)によると、次の事実が認められる。

(一) 原告は、本件建物内の各賃借人に対し、保証金(改修協力金)は、預託金として入居後一〇年間無利息にて据え置き、一一年目より向こう一〇年間に日歩五厘(年利1.825パーセント)の利息を付して均等分割返済する旨の条件を提示した。

(二) 改修協力金の負担額は、地下一階飲食店では坪当たり三二〇万円、一階物品販売店では坪当たり四八〇万円、三階物品販売店では二五〇万円、八階クリニックでは坪当り一一〇万円である。

(三) 被告外数店舗を除く大部分の賃借人は、最終的には原告と新規条件による賃貸借予約契約を締結したが、右契約締結に当たって原告は「条件変更がなされた場合は、変更された基準に応じて貴社との条件についても変更することを約束します。」という念書を差し入れた。

(四) 本件建物の施工済分改修工事費合計は三二億六四四〇万円であり、右に設計管理報酬一億円、未施工分改修工事費概算合計五億五六〇〇万円を加算すると、合計三九億二〇四〇万円となる。

右合計金額を本件建物の延床面積約三五一七坪で除すると、計算上一坪当たりの改修工事費用の負担額はおおよそ一一〇万円程度となる。

(五) 原告は、新規条件を承諾した各賃借人について本件建物の改修工事に伴う店内内装費を負担したが、その金額は一坪当たり六万三〇〇〇円ないし一六一万八〇〇〇円で、総額一億八三〇七万円に上る。

(六) 被告は原告に対し、昭和三七年七月二日及び昭和四七年六月三〇日の本件各貸室の賃貸借契約の定めにより、貸室二号につき坪当たり一五〇万円、貸室三号(契約面積12.098坪)につき一四四〇万円の保証金を差し入れていたが、右保証金は貸室二号につき入居後五年間据え置き六年目より向こう一五年間に、貸室三号につき向こう一二年間に、それぞれ均等分割返済し、利息は日歩五厘とするとの約で、原告は被告に対し、右分割返済を完了した(争いのない事実)。

(七) 他のビルにおける改修工事に伴う費用負担についてみてみると、JR渋谷駅西口の渋谷東急プラザについては五階店舗で坪当たり七五万五〇〇〇円、新玉川線二子玉川園駅前玉川高島屋ショッピングセンターについては一階店舗で坪あたり一二〇万円、他階で坪当たり一〇八万円であるが、右ビルの場合いずれも店内改装費は各賃借人の自己負担で、休業中の人件費、利益補償、見舞金はないとの約条である(本件建物の改修工事については、内装費原告負担、休業中の人件費全額補償、前年同期利益の二分の一の利益補償、賃料の三割の見舞金の約である。)。

赤坂東急プラザのリニューアル工事実施に伴う建築協力金の預け入れ単価は、入居時保証金坪単価に一律三〇万円を加算した金額である(ただし、店内改装費は賃借人の自己負担で、休業補償なし)。被告は、同ビル内一、二階に店舗を賃借しているところ、被告の負担すべき建築協力金は坪単価一一〇万円であった。

(八) 原告が新規賃貸借の条件として提示した本件建物の保証金は、ショッピングセンター等営業用の貸ビルにおいて一般に保証金ないし建築協力金といわれるものと同趣旨のものであり、賃貸人であるデベロッパーが多額の資金を必要とするため、賃借人に部分的負担の協力を求めるのが目的であり、徴収金額の目安は、土地、建物その他開発諸経費総額の二分の一程度で、面積単位当たりでの負担を条件とする場合が多い。

以上のように認められる。

右事実に、前認定のとおり本件建物においてはおおよそ三割を賃貸人である原告において使用していることを合わせ考慮すると、内装費の原告負担及び各種補償等を考慮しても、坪当たり四八〇万円という保証金は他に比較してあまりに高額であるといわざるを得ない。証人湯浅敏男は、右保証金は新規賃貸借契約に伴う保証金であり、改修協力金としての意味だけではないので改修工事費の面積当たりの負担額を計算することは意味がないし、金額の算定根拠を明らかにする必要もないと証言するが、前認定のとおり被告の入居当初の保証金は坪当たり一五〇万円であり、これに前認定による工事費用の坪単価の二分の一である五五万円を加算しても二一五万円、全額である一一〇万円を加算しても二六〇万円であることからすれば、改修協力金以外の意味が含まれるとしてもなお高額であるといわなければならない。また、前記一の認定によると、昭和五八年九月三日の更新拒絶の際、自己使用の必要性だけでは原告に正当事由があったとは認められないのであるから、原告が新規に契約する場合の条件を基準として権利金等を含めて前記改修協力金の単価を算出したとすれば、これもまた不当といわなければならない。

3  改修工事施工に至る経緯と被告の対応

原告の松原社長と湯浅取締役が、昭和五七年四月二六日、被告の小林社長を訪ね、本件各貸室の賃貸借契約がいずれも期間満了により終了することを予告し、昭和五八年九月三日、右各契約の更新拒絶の通知をしたが、その際、更新を希望するのであれば本件建物の保証金(改修協力金)として坪当たり金四八〇万円を提供すること等の賃貸借条件を提示したことはさきにみたとおりであり、証拠(〈省略〉)によると、次の事実が認められる。

(一) 原告は、被告に対し、前記の賃貸借更新拒絶の通知及びその予告の通知に際し、本件建物を改修する計画のあることを述べた。

被告は、昭和五八年九月三日に原告の示した新賃貸借条件に対しては、坪当たり四八〇万円の保証金を納入することのほか、賃料を坪当たり四万八〇〇〇円に増額することが条件となっていることから難色を示し、同意しなかった。

(二) 原告は同年一〇月二〇日、被告をはじめとする本件建物の各賃借人に対し、「紀伊国屋ビル改装計画について」と題し、改修工事の内容及び費用、並びに工事期間が昭和五九年三月から七月頃までである旨を記載した書面を配布するとともに、各々の階層別工程については新規契約に沿って各テナントが内装工事等の計画をした上原告の担当者まで相談してほしいと通知した。

被告は、右通知が新規契約を前提としているため、昭和五八年一一月二九日、原告に対し、期間満了後も従前と同様の条件で賃貸借を継続するように要求した。しかし、工事期間について三月から七月の時期では困るという申し入れは特にしなかった。

原告は同年一二月六日ころ、被告に対し、改めて書面をもって、新規賃貸借契約の条件を確認し、さらに、昭和五九年一月四日ころ、入居時に預託されていた保証金の残額の返還の通知をするに際し、期間満了に当たっては一旦合意解約の上新規条件にて賃貸借契約をするように申し入れ、新規契約の条件である保証金は、本件建物の改修工事につき約三〇億円の資金を必要とすることからその一部として預託をお願いする改修協力金である旨付言した。しかし、被告が新規賃貸借契約に応じないので、原告は、同年三月一三日ころ、書面をもって、新条件による予約契約を締結することを依頼し、予約契約をしなければ期間満了をもって明け渡し願う旨通告した。

(三) 被告は、原告の右通知に対し、同年三月三〇日到達の書面をもって、賃貸借の更新拒絶については正当事由のないこと、したがって被告は期間満了後も引き続き本件各貸室で営業を継続する所存であること、賃料増額については合理的な範囲に限り承諾するがそれまでは従前の賃料を支払う旨通知した。

そこで、原告は同年四月九日ころ、書面をもって、改修工事の内容を再度具体的に説明した上、新規賃貸借予約契約を締結してほしい旨、及び予約契約をしない場合には改修工事により被告の営業に支障を生ずることとなる旨予告した。

(四) しかし、被告は新規条件による賃貸借契約に応じなかったので、原告は同年四月下旬、前項の予告を最後に改修工事に着工した。

工事着工により、建物内部への出入りは事実上妨げられ、騒音及び振動により被告店舗の営業に支障が生じるようになった。被告は同年五月一日、原告に対し、工事の中止を求め、改修工事を実施するのであれば、被告の営業に対する影響を可及的に少なくするための適切な処置を施すように通告した。

(五) 原告は、被告らの求めにより、同年五月一一日になって、紀伊国屋ビル改修工事説明会を開催し、各賃借人に対し工程表を配布し、原告の総務部次長及び前川国男建築設計事務所の担当者が工事内容と工事日程の説明をしたが、被告外一一名の賃借人は、右説明では不服であるとして、同年五月二一日、原告に対し書面をもって、説明を受けた同年六月一九日までの空調機能の低下及び同年九月から一一月までの営業停止については、被告らの営業上の損害が大きいため到底同意できないこと、改修工事を直ちに中止すること、改修工事を実施するのであれば、被告らが顧客に対する通知その他営業被害防止手段をとるための余裕期間の設定、工事期間中の建物の入口の外観その他についての適切な処置、工事騒音やほこり等の防止、空調機能低下に対する対応、営業停止に伴う補償の支払等の問題を解決するように要求すること、原告に誠意ある態度が見られない場合には法的手段に臨むことを通告した。

(六) これに対し、原告は同年五月三〇日ころ、工事期間中、地下一階及び一階に冷房設備を仮設すること、休業期間の短縮についても工程の見直しをしていること、賃料の減免又は見舞金等についても配慮したい旨被告に通知した。原告は同年六月八日に至り、被告ら賃借人側と見舞金について話し合いをした。

しかし、被告外二名の賃借人は、同年七月七日、再度本件改修工事の中止を要求したので、原告は同日ころ、被告に対し本件各貸室の明け渡しを求めるに至った。

(七) 被告外数名の賃借人は、原告を債務者として、同年七月一三日、東京地方裁判所に工事禁止の仮処分の申立てをした。同年一〇月一六日まで六回にわたり審尋が行われたが、原告が工事を中止したので、被告らは申立てを取り下げた。

原告は、結局、一階及び地下一階の一部の改修工事を実施することができなかった。

(八) 被告は、改修工事そのものに反対なのではなく、原告が工事期間その他につき被告と十分な打合せができていないにもかかわらず工事に着工したことから工事の中止を求めたものである。また、新規賃貸借の条件である改修協力金及び賃料増額についても、被告としては、原告の提示金額は納得し難いが、合理的な範囲内のものであれば協力するつもりでいる。

以上のように認められる。

右事実及び前記1、2の認定事実によると、被告をはじめとする数名の賃借人の反対により、本件建物の保存及び安全性確保に必要な改修工事のうち、本件建物一階及び地下一階の一部の工事が完成できなくなったとみられるが、被告の仮処分申請等の強行な反対行動も、原告が一方的に坪当たり四八〇万円という高額な保証金の預託を含む新規賃貸借契約の締結を賃貸借関係継続の条件とし、これに応じない被告との間で改修工事についても正常な協力関係が形成されていないにもかかわらず、あえて工事に着工したことに端を発していると認められるのであって、このことからすると、被告の改修工事に対する妨害をもって被告側の一方的な背信的事情とみることは相当でない。

三以上のとおりであって、更新拒絶により期間満了をもって賃貸借契約が終了したとの主張については、前記一のとおり、原告の自己使用の必要性のみでは正当事由として十分でなく、前記二2の認定によると、被告が新規契約条件を拒否したことをもって正当事由の一事情とすることも相当でないから、右主張は理由がない。したがって、期間満了とともに賃貸借契約は法定更新されたものというべきである。

また、解約申し入れによる賃貸借契約終了の主張については、被告の反対により本件建物の一階の改修工事が未了であることは、原告にとって由々しい事態であり、被告としては本件建物の保存及び安全性確保のために改修工事を受忍すべきは当然であるが、賃貸人である原告としても、右改修工事を実施するに当たり賃借人の利害を害さないように周到な注意を払わなければならないにもかかわらず、被告が新規賃貸借条件に対抗する態度を示したこともあって、被告に対する十分な配慮を怠ったものであり、しかも原告の新規賃貸借条件には前示のように問題があるというべきである。他方、被告は、被告の営業に対し十分な配慮が示されれば改修工事の実施に協力する姿勢を有しており、また合理的な範囲内における改修協力金の負担と賃料増額に応ずる意向であることが認められるから、被告が仮処分申請をするなどして改修工事に反対してきたことは理由のないものではない。したがって、被告の右行為をとらえ解約申し入れにつき正当事由があるとするのは相当でない。

右のとおりであるから、原告の請求は理由がない。

(裁判長裁判官新村正人 裁判官前田英子 裁判官荒井勉は転補のため署名捺印することができない。裁判長裁判官新村正人)

別紙〈省略〉

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